日本キリスト教団六ツ川教会 ローズンゲン釈義黙想(2025/1/21)
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- Опубликовано: 7 фев 2025
- 2025年1月21日(火)
【旧約聖書】
私が生きていけるように、あなたの仰せに従って私を支えてください。自分の望みについて、私が恥じ入ることがないようにしてください。詩119:116(協)
【新約聖書】
(イエスの言葉)私の言葉を聞いて、私をお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁きを受けることがなく、死から命へと移っている。ヨハ5:24(協)
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「ローズンゲン釈義黙想」は、日本キリスト教団六ツ川教会の会員向けのメッセージです。
日々、御言葉を聞くことができるように毎朝5時に更新します。
「公開」設定にしていますので、六ツ川教会の教会員でない方も、ご関心のある方はどうぞ自由にご活用ください。
釈義黙想の後に、呼吸と沈黙の時間があります。
ヨガのトレーニングから学んだ呼吸法のごく基本的な方法を取り入れています。
御言葉を聞き、呼吸と姿勢を整えて、良い一日の始まりとなりますように。
どうぞ今日も笑顔でお過ごしください。
使用しているテキストは『日々の聖句 Losungen2025』(ベテスダ奉仕女母の家出版部、2024年)です。全国のキリスト教書店でお求めいただくことができます。税込み1,400円です。
*ローズンゲンで指定された場所以外は、聖書協会共同訳聖書のテキストを用いています。
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あまりキリスト教に馴染みのない方が、このようにおっしゃったことがあります。礼拝や学校のチャペルでは、神さまと言ったり、イエス・キリストと言ったりしますが、一体誰にお祈りしているのですか、という質問でした。よい質問と思うと同時に、答えるのが難しい問いでもあります。この問いは、キリスト教の根本に関わることだからです。キリスト教の神学を理解する上で、基本文法とも言うべき重要な事柄が、三位一体という考え方です。三位一体の神さまです。これを解説するだけで相当時間がかかるのですが、相当時間をかけて解説しても、ますます混乱するだけかもしれません。要するに、神さまとイエスと聖霊は、それぞれ分かれているけれども一つだということです。あまり良い例ではないのですが、強いていうならば、水と氷と水蒸気は、形は違いますが、本質は同じH20で構成されています。温度によって様態が変わりますが、本質は変わりません。もちろん、神さまがそのようにトランスフォームするという意味ではありませんが、神さまは三つの形で同時に存在しておられるのです。これも、理屈で理解するというより、「三位一体の神さまを信じる」というように、信仰の領域に入るものです。
水・氷・水蒸気であれば、それを貫くものはH2Oですが、神さま、イエス、聖霊を貫くものは何かというと、それは命です。神さま、イエス、聖霊、すべて「命」が貫いているのです。ですから、イエスはこのようにおっしゃるのです。「私の言葉を聞いて、私をお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁きを受けることがなく、死から命へと映っている。」イエスの語る御言葉は命の言葉です。命が与えられる御言葉です。それに聞き従い、父なる神さまを信じることは、そのまま命の源である神さまに繋がることになるのです。そしてイエスが死から復活し、そして天に挙げられることと入れ替わるように、聖霊がこの地に下されました。これが聖霊降臨の出来事ですが、これによって使徒たちに、そして私たちにもイエスと同じ権能が与えられることになります。それは命の繋がりが与えられたということです。
命とは、それ単体では存在しません。繋がりの中で命は存在します。だから、人との繋がりである愛や思いやりが大切であり、繋がりを切ってしまう、妬みや嫉妬、暴力は否定されるのです。福音書のなかで頻繁に登場する貧しい人、病気の人は、この社会から切り離され、人との繋がりを強制的に断たれた人々です。そのような人々にイエスは、言葉をかけ、手で触れておられることには注目できます。断たれてしまった命の繋がりを、手で触れることによって回復しているのです。
旧約の詩人はこのように歌います。「私が生きていけるように、あなたの仰せに従って私を支えてください。自分の望みについて、私が恥じ入ることがないようにしてください。」神さまに従うことは、命に従うことです。それは生きることそのものなのです。それは私たちが最も恐れる死をも超えて続いています。命は空間も時間も超えて繋がっている。その命の繋がりに自分も繋がること、御言葉に聞き従うことによってそれができるのであり、命の交わりの中に生きる、私たちキリスト者はそのような道を歩んでいるのです。
日本キリスト教団六ツ川教会牧師 桐藤 薫